経済小説:橋の下からこんにちわ 【第七章 チャレンジ】

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2026年 グローバル化によって加速しているのが国や人種を超えた人材競争だ。長きにわたり日系企業は”日本人の中から”優秀な人材を採用していたが、2026年にそのような文化はもうほとんど残っていない。2020年以降、政府の移民政策によってその傾向はますます加速している。翻訳技術の進化で言語の違いがあまり大きな問題にならなくなっている事も要因だろう。

IT企業においては、指数関数的に伸びるAIの需要に乗り遅れないために、高度な技術を持った優秀な人材の獲得を必死に進めている。反面、最新技術に疎く組織運営をする立場でも無い田中のような社員は今すぐ辞めてもらいたい社員となっている。
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家を売ってから半年後、私たち家族は隣町のアパートで暮らしていた。娘は奨学金を借りて公立大学に進学し、息子は町の公立中学に進学した。

私は会社の中で完全にお荷物な社員となっていた。この一連の住宅ローンの騒ぎで仕事にまともに手が付かず、年下の上司から疎まれている事も知っていた。

今の私の年収は400万円弱。度重なる給与体系の見直しにより、社内の給与格差は管理職を除いても7、8倍はある。しかし仕事を辞めるわけにはいかない。私には1200万円の住宅ローンの返済が残っているのだ。どんなに疎まれようと、この会社は労働組合の力が強く、懲戒になるような事をしない限りクビにされる事は無い。

疎まれながら意味のあるのか無いのか分からないような仕事をし、定時になったら帰り、給料をもらったらローンの返済に充てる。これが私の今の人生である…
 

「田中さん、今ちょっと時間あります!?」

何となく仕事をしているフリをしていた私に、年下の上司が声をかけた。
 

「あ、はい、大丈夫です」

思い腰を上げて立とうとすると…
 

「あ、では、5分後にD会議室でお願いします」

忙しそうな上司が答えた。
 
 

「田中さん、間も無く50歳になられますね」

「あ、はい」
 

「田中さんはこれからどんなチャレンジをされるのですか!?」

「え、はぁ?」
 

「チャレンジですよ、チャレンジ。田中さんは社内でどんなチャレンジをされるのかなって」
 

突然意味不明なことを言われ困惑している私に上司は続けた。
 

「実は先月、社員のチャレンジを応援する制度が出来たんですよ。チャレンジする社員によって会社は育つと社長も言ってますし。それでまずはキャリアの長いシニア層の社員さんを優先して応援しようとなりまして。」

「田中さんは、どんなチャレンジをされるんですか」
 

「はぁ、いや、、う〜ん、今からチャレンジと言われましても、私の年齢では…」

「田中さん、大丈夫ですよ。年齢なんて関係ありません。田中さんのチャレンジを会社は応援します。例えば、ディープラーニング3.0世代のAI開発なんてどうですか? もし顧客との折衝がお好きでしたら、アフリカ企業の新規開拓なんてのもありますよ。」

「アフリカ…ですか…」
 

「うーん、田中さんのチャレンジがもし社外でのキャリアアップだとしたら、こんな応援制度もあります」

見せられたのは早期退職者向けの支援金の制度だった。
 

チャレンジ、チャレンジと言っているが、要はリストラの宣告であった。
社員をクビにする事はできない。だからこうやってチャレンジと言って難しい仕事へのアサインをチラつかせ、支援金をもらって早期退職するパターンに誘導するのだ。
 

「今日は唐突に田中さんのチャレンジについて伺ってしまい申し訳ありません。続きはまた来週くらいに、面談をさせてください。」

そういうと年下の上司は部屋から出て行った。
 

私は早期退職者向けの支援金制度のチラシを持ち帰った。
 

「退職金 + 300万円か…」
 

退職金はおそらく1,300万円くらいだろう。支援金制度を使うとそこに プラス300万円のおまけを付けてくれるらしい。

「合計 1,600万円。そこから住宅ローンの残債1,200万円を完済して、手元に残り400万円か…」
 

「悪くは無いな…」
 
 

2ヶ月後、私は50歳を迎えると共に会社を退職した。

ローンを完済した引き換えに、私は無職となった。
 
 

第八章 人の温もり
 

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