経済小説:橋の下からこんにちわ 【第九章 ギャング オブ フォー】

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2027年 孤独死は社会問題ではなく当たり前になりつつあった。2021年に改定された日米貿易協定により医薬品の価格が高騰。加えて医療行為についても自由化の名の元に国による料金設定が徐々に廃止されていた。それにより満足な治療を受けられないまま自宅で亡くなる高齢者が激増したのである。
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立ち飲み屋は簡素な作りで、調理場を中心にカウンターテーブルが付いており、他はテーブルが3つ。テーブル席の一部は店の外に張り出しており、ビニールテントのような構造の建物で防寒できるようになっていた。恐らく夏は開けっ放しで営業しているんだろう。店の真ん中にストーブがあり、ビニールテントの中は暖かい。
 

「いらっしゃいませ。」

店に入ると、60代であろうか、、店長らしき男に静かに挨拶をされた。その男性は比較的身長が高くスラットしていた。黒いTシャツを着て、頭には鉢巻を巻いている。頑固親父のような風貌だが、あまり大声を出すタイプでは無いらしい。
 

店の中には客が4人。1人は2、30代くらいの若いので、1人で飲んでいる。

後の3人は5、60代くらいのおっさんグループ。明らかにハローワーク帰りだ。3人のうち2人はさっき並んでいるのを見た。私は出来るだけ目が合わないようにして、1人でしっぽり飲む事にした。
 

しかし、酔っ払いというのは何故あんな大きな声で喋るんだろうか。3人のおっさんグループの事である。それにハローワーク帰りだというのに、何であんなに楽しそうに飲める!? なぜ落ち込まないんだ!? きっとそういう人生を歩んできたに違いない。私とは住む世界が違う人間…

すると、そのうちの1人、一番年寄りそうなのがこっちにやってきた。そしてあろう事か話しかけてきたのだ。

「あんさん、さっきハローワークで並んでた方でしょ?」
 

「あ、ええ、はい、そうですが… 何かありましたか?」

私は怪訝そうな表情で答えた。
 

「やっぱりそうだ。いろいろ苦労されているでしょう。良かったら一緒に飲みませんか?」
 

この言葉にどう返そうか悩んでいると、男は胸ポケットから何かを取り出し、私に見せてきた。それは古びて黄ばんだ1枚の名刺だった。
 

「申し遅れました。わたくし、こういう者です。木下と申します」
 

この男は一方的に名刺を渡してきたのだ。それも何時のものかも判らない汚い名刺を…

私の目は名刺に印刷された会社名に留まった。

それは紛れもなく日本を代表する自動車会社であった。そして木下という名前と、役職の欄に課長という文字が印刷されていた。それはこの年寄りの現役時代の名刺であった。

私に名刺を見せると、この木下という年寄りは名刺を私に渡すのではなく、薄汚れた名刺入れに大事そうに閉まったのだ。

なんて寂しい人間だ、退職してもまだ現役時代の自分の立場に甘んじようとしているのか。しかし何か自分と通じるものを感じた。
 

「貴方も、大企業で働いていた人間でしょう?」

何も言う前にまた質問をされてしまった。しかし、なぜ私が大企業で働いていた人間だと分かったのだろう…

「ええ、まぁ、はい、そうですが…」

今度は怪訝そうには答えなかった、むしろ突然名刺を見せられ、経歴を見抜かれた事に同様し、良い返しが思い浮かばなかった。
 

「やっぱり。分かるんですよ。いろんな人を見てきたからね。」
 

「どこで分かるんですか?」
 

「そうだねぇ、顔つき、表情、態度 かな…  ガハハハハハ」
「おっと失礼しました。私もねぇ名刺の通り昔は大企業で管理職をしていたんだけど、今はこんな感じだよ。」
 
 

「お、出たー! ヤスさんの自慢話し。大企業様スゴいですよ。だから早く飲もうよ〜」

「ハハハハハ〜」

おっさんグループの1人がそう言うと、皆んなが笑った。物静かな店長も笑顔になっている。この木下という男は「ヤス」と呼ばれているらしい。
 

「あんさん、1杯だけ、あっちで一緒に飲もうよ。酒はみんなで飲んだ方が旨いじゃない」

私は誘いを受ける事にした。正直、1人で飲んでいてもあまり酒がしっくり来なかった。
 

「では、改めて4人で、」

「「「「「カンパーイ」」」」」
 

人と飲む事でコップ一杯の酒がこんなに旨くなるとは思わなかった。立ち飲み屋の安い酒に違いないが、今日の私には秘蔵の銘酒に感じる。

飲んでいるうちに、ハローワークに並ぶような奴らとか、学歴とか、そん事がどうでも良くなってきた。私は自分の身に起こった事を淡々と打ち明けた。

「いやぁ〜、会社に尽くしてきたのに、新しい事しなきゃって古い人間を無理やり異動させるってのは、酷いよなぁ。実は自分もね…」

「任意売却できたのか。羨ましいなぁ、俺の家は競売で売り飛ばされちゃったよ。その後大変だったんだ…」
 

驚くほど、皆んな自分と同じような体験をしていた。だからこそ、皆んなで辛さを共有出来た。私は少し癒された気持ちになった。
 

「田中さんは仕事もらえました?」

私に質問したのは鈴木さんだ。鈴木さんは日本の中規模の電気機器メーカーで働いていたが、発注元の大手電気機器メーカーが破綻した事で経営が悪化、鈴木さんの会社も道連れで倒産したらしい。
 

「いやぁ、気長に待つしか無いって言われてしまいましたよ…」
 

「そうですかぁ〜 私もたまに1週間、長くても1ヶ月程度の仕事をもらう程度ですよ。確かに気長に、声がかかるのを待つといった感じですなぁ」
 

「そういう時はね、アレで凌ぐしかないよ。日雇い。」

ヤスさんが言った。
 

「ひょっとしてハローワーク前に7時集合というやつですか?」

私が聞いた。
 

「そう、それ! 最初はしんどいけどね、慣れればどおって事はないよ。それに、行けばだいたい雇ってもらえる。若い連中はこういう仕事を敬遠しているからな。」 ヤスさんが答える。
 

「えぇー、、俺あれ苦手なんだよな、臭い嗅いだら気持ち悪くなっちまうよ」
 

「大丈夫、大丈夫、明日4人で行ってみないか?? みんな明日はアテ無しだろう?」
 

「まあ、そうだが、、」
 

「よし、決まり!」

ヤスさんの勢いで、明日はその日雇いに行く事が決まった。一体どんな仕事なんだろう。私は聞いた。
 

「日雇いって、どんな仕事なんですか??」
 

「行けば分かるさ。但し朝飯は食べて来ない方が良いぞ。初めてだと吐いちまうから。 ガハハハハハ。」
「それより、焼酎を飲もう。先に体を消毒しておこうじゃないか! ハッハッハッ」
「大将! 焼酎の燗ちょうだい。唐辛子入れたやつ」
 

結局 夜の10時頃まで飲み、明日の6時50分ハローワーク前集合を約束して解散となった。
 
 

翌朝、私は何時もより早く目が覚めた。そしてまだ薄暗い朝に家を出て、6時30分にはハローワークの前に座っていた。徐々に人が集まってくる。集まってくるのは皆私と同じか私より年上の世代ばかりだ。

(みんな、日雇いが目当てだろうか…?)

(若者が敬遠する仕事ってなんだろう…?)

そんな事を考えていると、昨日の4人が集まった。そしてヤスさんが言った通り、我々4人は無事に仕事にありつく事ができた。
 

業者のバスに乗り込む。
久しぶりの仕事。しかも顔の知れた仲間で取り組めるとあって、私は少しワクワクしていた。

いや、確実にワクワクしていたが、冷静な自分が日雇い仕事でワクワクするなと心を抑えているという表現が正しかった。
 

ハローワークの前を出発したバスは業者の拠点だろうか、古いプレハブの建物が立つ駐車場に着いた。

ここは更衣室であった。一人一人に作業服と長靴が渡され、プレハブ小屋の中で着替えるように言われる。15分後、全員が着替え終わると、今度は5,6人のチームに分かれてワゴン車に乗り込んだ。私のワゴン車には私たちのグループと、業者の人間らしい男が乗り込み、男の運転でまた何処かへ向かった。
 
 

着いたのは東京郊外のとあるニュータウンの、古びた一軒家の前だった。ここは高度経済成長期に整備され、近年は高齢化が問題になっていたニュータウンだ。
 

「さあ、みんな降りてくれ」
 

業者の男の掛け声で私たちは車から降りた。

その古びた一軒家の脇には、私達が乗ってきたワゴン車の他に、トラックとパトカーが止まっていて、警察官が2名乗っていた。

何故かヤスさんはニヤニヤしている。
 

業者の男
「お待たせしてすみません。今日もよろしくお願いします。」

警察官
「いえいえ、今日もよろしくお願いします。」

業者の男
「状況はどうですか?」

警察官
「2週間くらいですかねぇ、状態を見る限り、病死ですね。」
 

日雇いの仕事とは、孤独死した老人の遺体の運び出しと、荷物の整理、家屋の清掃であった…
 

ヤスさんに朝飯を食べて来ないように言われた理由が分かった。現場は壮絶なものだった。視覚、嗅覚、味覚までもが限界を試される。私は10回は吐いたと思う。その度にヤスさんは笑っていた。そしてヤスさんは終始笑顔でテキパキと仕事をしていた。
 

「遺体というのは、放っておくとあそこまで腐敗するんですね…」

午前中の作業が終わり、ひと段落した頃に私はヤスさんに話しかけた。
 

「ハハハハ、まだ今日の人はマシな方さ。まぁ 11月だからねぇ。真夏はもっとひどいぞぉ。」

ヤスさんは楽しそうに答えた。
 

昼飯は業者が弁当を配ってくれたが、私は半分しか喉を通らなかった。残りの弁当は持って帰る事にした。
 
 

午後4時すぎに作業が終わった。廃品を運ぶためのトラックは満載になっていた。
 

その後、ワゴン車で業者の拠点まで戻り、私達はプレハブ小屋で作業着を返し、シャワーを浴びた。
私は何時もより入念に体を洗った。

自分の服に着替え、プレハブ小屋を出ると、今日の給料が支給された。
額面の日給9千円から作業服の貸出しや移動費、弁当代などの諸経費が引かれ、7千円が手元に残った。現金以外に明細表などは配られなかった。
 

私たちはまたバスに乗り込み、ハローワークの前で下ろされた。時刻は18時を回っていた。
 

私達は交差点脇の立ち飲み屋に真っ直ぐ向かった。
 

「はぁ、仕事の後の酒はうまいねぇ。生きている実感が湧くよ」
 

石田さんが行った。石田さんは高卒でハウスメーカーの職人として就職し、内装の仕事をしていた。30歳を過ぎて独立して1人親方となったが、2020年以降、海外のハウスメーカーの参入で受注先のハウスメーカーが衰退し、仕事が来なくなったそうだ。
 
 

石田さんの言う通り、今日の酒は格別だった。体が温まってきた頃、私はヤスさんに言った。

「ヤスさん、よくあんな現場でニコニコしながら仕事ができますよね。すげぇよ。」
 

するとヤスさんは答えた。

「いやぁ、だって、今日の人は80歳まで生きたんだから大往生でしょ。そう言う人は祝ってあげないと。笑顔で見送ってあげないと、ご本人も報われないと思うんですよ。」
 
 

この日、私達4人は戦友の気分だった。いや気分ではなく4人は戦友だった。

次の日も、また次の日も、私達は朝7時前に集合して戦場へ向かい。帰還したら立ち飲み屋で飲んだ。
 
 

第十章 名刺
 

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