経済小説:橋の下からこんにちわ 【第十一章 正義の解釈】

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この10年で、自動車業界は大きな変貌を見せた。従来のガソリンを使う自動車からハイブリッド、電気自動車への本格的な移行だ。2019年の時点で、政府は2030年までに電気自動車の割合を3割にするという目標を立てた。そして2028年、その目標は前倒しで達成されつつあった。

この変貌による負の影響を受けたのは、自動車会社のエンジンに関わる部門や、エンジンに関わる部品を製造していたメーカーだ。大幅に仕事が減ったのは言うまでもない。

自動車産業は過去にも多くの人間を窮地に立たせた事がある。派遣村に象徴される派遣社員の大量解雇問題だ。2008年から2009年にかけて、リーマンショック後の不況で発生した。東京の中心とも言える日比谷公園に、年越し派遣村が作られる事態にまで発展した。それはさながら経済戦争に追われた者たちの難民キャンプであった。
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この日、私はいつもの立ち飲み屋で飲みつぶれていた。ヤスさんが亡くなったという知らせを店の大将から聞いたのだ。

ヤスさんの息子さんが立ち飲み屋の大将のもとを訪れたそうだ。

実はヤスさんは2年ほど前から病に侵されていたそうだ。それで息子さんが一緒に住む事を提案していたが、ヤスさんは頑なに拒んでいたそうだ。ヤスさんの息子さんは公務員として働いており、結婚もして子どもいるそうだ。息子さんの話によると、ヤスさんは「子供の世話にはなりたくない」と言っていたそうだ。

今年の年末、ちょうど日雇いが休みの時期に倒れ、それから息子さんは何度もヤスさんを自分の家に連れて行こうとしたそうだ。しかし倒れてもなお、ヤスさんは息子さんの家に行くことを拒んだ。それでも息子さんは粘り強くヤスさんを説得した。

そしてついに、ヤスさんは観念して息子さんの家に行くことを決めた。それはヤスさんが立ち飲み屋に来なくなったタイミングだった。

「父は自分の死期が近いと感じたのではないでしょうか」

ヤスさんの息子さんはそう話したそうだ。
 

(そうか、だからヤスさんは私に大切な名刺を渡したんだ。私に託すって、そういう意味だったんだ…)

(どうして私はヤスさんの体調や気持ちに気づく事ができなかった。ヤスさんは体調をおしてまで私と飲んでくれたというのに…、ヤスさん、ごめんよ、ごめんよ…)
 

私はがむしゃらに酒を飲んだ、飲まずにはいられなかった…
 
 

「田中さん、今日はもう酒はやめときな。」

酒を飲んで今にも意識を失ってしまいそうな私に、大将は静かに声をかけた。私はふと我に帰った。

「大将、すまない、、」
 

「ヤスさんはね…」

店長はヤスさんの過去について話し始めた。
 
 

ヤスさんは名刺の通り、日本を代表する自動車メーカーの製造部門で働いていた。課長になった頃にはカンボジアの製造拠点でエンジンの重要部品を作る一部門を任され、下請け会社の社員や現地採用の社員を含む300人以上の部下を抱えていたそうだ。人柄の良いヤスさんは、現地の人間からとても慕われていた。

ヤスさんは現地の人間をただの労働力とは考えず、エンジニアリングを学ばせ、将来を担うエンジニアとして育てようとした。

順風満帆に見えたが、数年後、転機は訪れた。電気自動車へのシフトによる、ガソリンエンジンの開発/製造の縮小だ。それはまず海外の拠点から始まった。ヤスさんの部門は部門ごと廃止されることとなったのだ。

この時、ヤスさんに背負わされた業務は、配下の社員の解雇、下請け会社との契約の廃止であった。

今まで仲間として助け合って来た人間、手塩をかけて育てた人間を、自分の手でにクビにしなくてはいけなくなったのだ。その中には家庭を持つ者も多くいて、解雇は本人だけの問題ではなかった。

ヤスさんは「到底納得できない」と、上からの指令に盾をつき、違う部門に転属させるなど、解雇しなくても良い方法を必死に探したそうだ。しかし上の者の態度は変わらなかった。むしろなかなか部門の廃止が進まない状況に業を煮やした経営層は、ヤスさんを部門長の立場から外し、ヤスさんの部門と全く関わりが無かった、日本にいた人間を部門長に据えたのだ。

そして、約300人が露頭に迷うこととなった。

これを期にヤスさんは左遷され、社内で冷遇を受けた後に早期退職を促され、失業者となった。
 

「ヤスさんはね、自分だけが家族と幸せに暮らす事なんて許されないと、考えてたんじゃないかな。」

大将は、ヤスさんが息子さんからの誘いを断り続けた理由をこう話した。私もそうだと思った。そして悟った。ヤスさんが会社員時代の名刺を大切に持っていたのは、きっと自分の責任を忘れてはならないという気持ちからだそう。
 

しかし、嫌になるほど孤独死の現場を見て来たヤスだからこそ、最後くらいは家族に見送ってもらいたいと思ったのではないだろうか。いずれにせよ、ヤスさんは最後は家族にも守られながら逝く事ができた。私は少し救われた気持ちになった。
 
 

「今日はもう遅いから、うちに泊まっていきなよ。」

大将はそう言ってくれた。私は、ついつい甘える事にしてしまった。
 

大将の家は立ち飲み屋の2階にある。店舗兼住宅だ。

大将の家には初めて上がる。あまり物がなく、すっきりしている。そして全てのものがきちんと片付けられている。決して貧相と言う訳ではない。一つ一つのモノがしっかりと手入れされ、無駄がない。掃除も行き届いている。

私は毛布を貸してもらい、眠りについた。
 

翌日、私はチャイムの音で目を覚ました。案の定、ひどい二日酔いだ。大将はとっくに起床し、下の店舗で何やら作業をしていた。

来訪者も来た事だから、邪魔にならないよう、さっさと帰ろう。
 

私が1階に降りると、見覚えのある顔が飛び込んできた。
 

私が初めてハローワークに行った時に対応してくれた職員である。向こうも私に気がついたようで、「あ、あなたは!」と言った。

この後、お茶を飲みながら3人で少し話しをする事になった。ハローワークの職員は小林さんという名前だった。
 

帰り道、小林さんは大将との関係について話しをしてくれた。
 

「大将はね、私の恩人であり、兄貴であり、私の正義のミカタなんですよ。」

小林さんはそう言った。
 

小林さんと大将が出逢ったのは、2008年の年末の事であった。当時、小林さんは派遣社員として自動車メーカーで働いていたが、不況により年末に派遣契約を切られ、寮からも追い出された。地方から上京した小林さんは行く宛もなく、派遣切りのデモ隊の行進に参加をしていたらしい。実家は決して裕福ではなく、その時点で実家に戻ると言う選択肢は自分の中で選べなかったそうだ。

デモがいつものハローワークの前を通過するあたりで、デモ隊と警察官の間でいざこざが起こった。それが小規模の乱闘騒ぎに発展したのだ。この乱闘に小林さんも巻き込まれ、結果的に警察官を殴った。

そこに現れ、騒ぎを静めたのが、たまたまハローワークに来ていた大将だった。

小林さんはこの時に一旦逮捕されるが、その後釈放され、以後、大将が小林さんの面倒をいろいろと見てくれたそうだ。

その後、小林さんは一時期ホームレスになるも自活を果たし、今は失業者をサポートするNPO法人の職員としてハローワークの相談員を務めている。
 

「大将はね、もともと自衛隊員だったんですよ。2003年のイラク戦争を覚えていますか? あの時に支援部隊として日本から派兵された中に大将もいたんです。」

「大将は子供の頃から正義の味方に憧れていたそうで、高校を卒業して直ぐに自衛官になったんです。」

「イラク派兵も正義感から手を挙げたそうです。しかし、現地の様子を見て、正義とは何か分からなくなったそうです。大将が守るべき対象のイラク市民の中には、正義の名の下にテロを仕掛けてくる者がいる。それを見た米兵は子供であろと武器を取ったらすぐに撃ち殺す。」

「そんな状況を毎日見せられ、正義が分からなくなったそうです」

「それで、日本に帰還して、しばらくして自衛隊を辞めたそうです。その後は期間工などの職を転々としていた。そんな最中、私たちの乱闘騒ぎに遭遇したんです。」

「最初は、「止めに来やがって!」と思ったんですけどね、勝てる相手じゃないなってスグに分かったんです。大将は元自衛隊員なんですから当然かもしれませんね。ハハハハハ」

「あの時に大将が止めてくれなかったら、今の私は無かったと思います。本当に大将は恩人です。」

「そのあと、「お前らがもう二度とあんなことをしないよう、俺がここで見ていてやる」と言って、あの立ち飲み屋を開いたんです。あそこにいればハローワークまでスグに飛んでこれますからね。それからずっと、大将の正義はハローワークにくる者たちを守る事に向けられているんですよ。」
 
 

小林さんは大将の過去について話してくれた。
私は大将の家がなぜあんなに整っているのか、何時も私たちを静かに見守ってくれているのか、理由が分かった。
 
 

それから約1ヶ月後、私はアパートを追い出された。

家賃を滞納したのである。そう言えば、私はここ数ヶ月、家賃を払った記憶が無かった。実はまだ妻が住んでいた時は、妻が家賃を払っていたようである。考えれば分かる事である。

それを期に私は、私の口座に残っていた退職金の残り全てを妻の口座に振り込んだ。その金でアパートに暫く住む事ができたが、ほとんど寝に帰るだけのアパートに、家賃を払う気になれなかった。それに、妻へのせめてもの罪滅ぼしでもあった。

家を追い出されたその日、近くを流れる川の橋の下に引っ越した。

かくして私は、ホームレスとなった…
 
 

最終章 橋の下からこんにちわ
 

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