「貧乏なんて、くそったれ!」貧乏を嫌いにさせた2つの言葉

僕は貧乏が嫌いです。

どのくらい嫌いなのかと言うと、飲み会で「貧乏が嫌いな理由や、金持ちになるべき理由を」一方的に説いて回るくらい嫌いです。よく飲んでいる人には「またその話しかー!」と呆れられています。

貧乏が好きな人はいないと思いますが、僕の嫌いっぷりは一つ飛び抜けていると思います。わざわざブログにするくらいなので、察して頂けると思います。

 

「貧乏が嫌い」と言っても、貧乏な人が嫌いという意味ではありません。「貧乏」や「貧困」という状態そのものが嫌いなのです。

そして、単に「嫌い」じゃなくて、世界で最も憎むべき対象だと思っています。

 

ここまで嫌いになったきっかけ、それはたった2つの言葉でした。

 

今回は、自分を貧乏嫌いにさせた2つの言葉を紹介します。

 

1つ目の言葉: 幼少期に言われた言葉

人は小学校低学年頃をピークに、友達の持っているものや、流行っているものが欲しくなります。自分も例に漏れず欲しがりっ子で、親に色々とおねだりをしていました。

 

そして、そんな時に何時も言われていた言葉が、貧乏を憎む魂を育てました

 

その言葉とは、

 

 

「我が家は貧乏だから買えない」でした。

 

 

幼馴染の持っているオモチャの電子手帳が欲しいと言えば、

「あの子のお父さんは社長なんだ。社長の息子なんだぞ、、我が家は貧乏人だから買えないよ」

と言われて買ってもらえず、

(確かに幼馴染のお父さんは水道工務店を営んでいました)

 

近所の友達のラジコンが欲しいといえば、

「あの子のお父さんは大型トラックの運転手で、給料を何十万円ももらってるんだよ。我が家は薄給だから無理だよ。」

と言われて買ってもらえず、

(ちなみに近所の友達も幼馴染と同じ電子手帳を持っていた)

 

スキーに行きたいと言えば、

「あの子のお母さんは公務員で、公務員の給料は高くて安定しているんだ。君もそうなれ」

と話を逸らされる。。

 

そんなふうに毎回言われると、必然的に

「貧乏なんてくそだ!! 給料の高い仕事について贅沢してやる!」

と、

貧乏に対するヘイトと、金持ちへの憧れが醸成される事になる。

 

なおスキーについては、「都会に住んでて子供の時からスキー行ってる奴 = 育ちの良いボンボン」という勝手なレッテルが大人になるまで染み付いた

 

この頃から将来の夢は、、

  • 大学教授
  • 全日空のパイロット
  • ソニーの研究者

と、どれも当時、年収1000万円は稼げそうな仕事になった。ちなみにその当時「起業をしよう」というほど、頭は回らなかった。

 

 

その後、紆余曲折の末、IT業界で仕事をすることになりました。今だに大金持ちにはなれていません。涙目!

しかし少なくとも、「うちは貧乏」という育て方には非常に感謝しています。

 

今は大金持ちではないものの、ありがたい事に日本の平均年収よりは多めに給料をもらっている。

それは幼少期に「貧乏はくそだ!!」「給料の安い仕事になんて就くものか!!」という価値観や信念を持てたおかげだと思う。そういった思いが大学進学、そして就職活動のエネルギーになっている。(就職活動中は大手企業ばかり狙って徹夜でエントリーシートを書いていた。)

そして、お金を貯めたり、ブログを書いたりといった活動のエネルギーにもなっている。

 

「三つ子の魂百まで」という言葉の通り、幼少期できた「貧乏はくそだ」という価値観が今も自分の信念になっているのです。

実際。これが「貧乏」を嫌いになった理由の90%を占めていると思う。

 

ちなみに、これも大人になってから理解できた事ですが、”貧乏な我が家は、実はそこまで貧乏ではなかった。”

 

教育に関しては非常に贅沢をさせてもらった。

小学校高学年から大学に至るまで、人並み以上の教育費をかけて頂いた。おかげで浪人をした上に大学院までノコノコ通う事ができました。

 

一つの育て方の例として、子育て世代の参考になればと思う。

 

 

さて、2つ目の言葉に進みます。

 

2つ目の言葉: 「金持ち父さん」の一節

ロバートキヨサキの「金持ち父さん、貧乏父さん」は有名なので、皆さんも知っていると思う。しかし最近はネットワークビジネスとか、情報商材の勧誘で使われる事も多いらしく、残念なことに少なからず悪いイメージを持っている人もいるでしょう。

しかしながら、この本に書かれている一節が僕の貧乏嫌いのきっかけになっている。

 

それは、

 

 

「金が無い事こそが、諸悪の根源だ」

 

です。

 

この一節を読むまで僕は、「貧乏」と「貧乏人」の区別が曖昧でした。しかしこの一節を読んで、

頭の中で「貧乏人」という言葉の”貧乏”と”人”が分裂したのです。

それでどうなったのかと言うと、事象に対する捉え方が変わったのです。

 

例えば、”貧乏な人がお金に困って銀行強盗をした”というニュースを聞いたとします。

それまでは、「お金に困ったとはいえ、銀行強盗をするなんて良くない人間だ」と感じました。しかし、”貧乏”と”人”が分裂してからは、「貧乏はつくづく悪だ。人に銀行強盗をさせてしまうのだから。」と感じるようになりました。

(もちろん責任は銀行強盗をした人にありますよ!)

 

その状態で世の中の出来事を振り返ってみると、実に多くの犯罪や問題が「貧乏」に起因していると分かります。

 

それから、「貧乏」は単に個人的に恨むべき対象ではなく、世の中の、グローバルレベルでの、時代をも超越する「諸悪の根源である!」となり、個人ではなく人類として貧乏を憎んでいるのであります。

 

 

以上が貧乏が嫌いになった2つのきっかけです。

こんな個人的な主義主張にも関わらず、ここまで読んで頂き誠にありがとうございます。もっと聞きたいという物好きな方がいらっしゃいましたら、いくらでも語れますので、ぜひ飲みにでも誘ってくださいww

 

みんなで裕福になって貧乏を絶滅させましょう!

 

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