経済小説:橋の下からこんにちわ 【第四章 昭和夫婦】

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真面目に勤めているにも関わらず会社の中で不遇を受ける田中。きっと原因は彼のせいだけでは無い。
昭和の時代であれば彼のような生き方は正しかったのだ。

良い大学を出て大企業に就職し、定年まで勤め上げる。年功序列の給料は子が育つにつれかさむ教育費を補い、終身雇用は家庭に安心をもたらした。心配なのは健康や事故くらい。それだって企業の保険組合が手厚くサポートし、どんなに医療費がかかっても月に最大25,000円の出費で済む保険組合まである。それでも心配なものには民間の医療保険や生命保険が用意されていた。

2024年現在、年功序列という言葉は昭和を象徴する言葉として歴史の教科書に載るようになった。終身雇用は2019年にトヨタ自動車が「難しい」と発言していて以来、経団連に加盟する企業は軒並み廃止の方向で動いている。医療費は2021年の日米貿易協定の改定を転機に高騰し、保険組合は手厚いサポートが出来なくなった。風邪を引いた程度で病院に行くのはお金に余裕のある者だけとなった。

しかしその分、チャンスも増えている。前述のように若手でも能力さえあれば1,000万円を超える年収を手にする事が出来る。医療関係においては、医者にとどまらず製薬会社の社員、医療保険を扱っている保険会社の社員は我が世の春を謳歌している。ただしこれらの企業は外資系が中心であり、仕事も英語もできる社員人間でないと就職は難しい。

一方、田中のように、令和の時代を昭和の価値観で生きる人間への風当たりは強い。

そしてそれは、田中と同じように昭和の価値観で専業主婦という道を選んだ田中の妻も同じであった。
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「あなた、実は、、相談があるの」

熱燗に思いを寄せる私に妻は深刻そうな表情で話し始めた。
 

「実は、住宅ローンの支払いを5ヶ月も滞納しているの。それで今日、銀行から電話がかかってきて、、うっ…」

言葉に詰まる妻。私は5ヶ月の滞納という言葉に動揺しつつも、妻に優しく言葉を返した。

「大丈夫だよ。言ってみて。電話で何て言われたんだい?」
 

妻は、少しイラッとした表情をしたかと思うと、少し激しい口調で私に言い放った。
「全然大丈夫じゃないわよ! 銀行から電話がかかってきて、来月も滞納したらこの家は競売にかけられるのよ!! 私たち出て行かないといけないの。」

妻は怒っているというより、絶望を通り越して開き直っているといった雰囲気であった。そして体の力が抜けると同時にしょんぼりとした表情に戻った。
 

私は妻の気持ちを察することは出来たが、言っていることの意味は理解できなかった。

なぜ、住宅ローンを6ヶ月滞納した程度で競売にかけられるんだ? この家は”私の家”のはずだ。文字通りマイホームなのだ。借家ではないのだ。

ともあれ、妻を落ち着かせるために、私はとりあえず返事をした。

「すまない、俺の甲斐性がないばかりに…。明日俺が銀行と話してみるよ」

妻は静かにうなずいた。
 

妻によると、1年前、私の給料体系が変わった頃から我が家の家計は火の車だったらしい。最初の6ヶ月は子供の学資保険などを解約して何とか凌げたが、それが尽きるといよいよ首が回らなくなったらしい。私立高校に通う娘の学費を優先し、かわりに住宅ローンが支払えなくなったそうだ。

妻はこの状況を解決するため、自分も働きに出ることを決意したそうだ。しかし上手くは行かなかったらしい。最初は正社員の事務職などを目指したそうだが、40代で17年間のブランクがある妻を雇ってくれる会社は見つからなかったそうだ。書類選考の段階で落とされ、面接すら出来なかったそうだ。そもそも、正社員の事務職という求人そのものが絶滅危惧種だそうだ。確かに、私のような社員がそのポジションに溢れているのだから納得ができる。

次に妻はフルタイムの派遣社員を目指したそうだが、それもダメだったそうだ。そもそも派遣社員が担っている職種はAIロボットに少しずつ仕事を奪われているそうだ。にも関わらず、求人に群がる日本人の若者で溢れているそうだ。彼らは本来なら企業の正社員として働けたかもしれないが、政府の移民政策によって日本にやってきた優秀な外国人に正社員の枠を奪われているらしい。優秀な外国人の脇で不遇の思いをするのは私だけではなかったのだ。
結局、企業は長く勤められる若者を優先して採用するため、妻は派遣社員にすらなれなかった。

妻はしょうがなく、パートをすることにしたそうだ。しかし、パートですら、妻に働き口は無かった。先の移民政策により、東南アジアから20歳前後の若者が沢山日本に来ているそうだ。そういえばコンビニの店員は外国人ばかりだ。私は不味くて嫌いだが、鳥貴族の店員はベトナム人だらけだという。彼らは優秀で高学歴ではないが、日本に夢を抱き、日本語学校に半年程度通った後、片道のチケットで来日するそうだ。
そういう子たちの多くがパートに流れている。雇う側としては、40代よりも若くて体力のある20歳の外国人を雇いたいわけだ。言葉は片言だが、居酒屋の接客くらいであれば問題ないそうだ。

 
「私って、無価値なのかしら…」

妻がぼそっと呟いた。

「何を言ってるんだ! 君は私の大事な妻であり、子供たちの唯一の母親だんだ。数字で計れないくらいの大きな価値があるよ!」

「うん…ありがとう。あなた。」
 

妻は涙を流していた…

 
第五章 銀行になりたい
 
 

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